日本はランの楽園か、地獄か????
戦後の日本のラン栽培を俯瞰したとき、
よくぞ、ここまでランが大衆に普及したものだと思う。
宇井清太がランを始めたの昭和37年。
池田内閣が・・・日本はもはや戦後ではない・・・といって、
「所得倍増政策」を打った年である。
赤字国家の日本。
貧しかった。
何よりもラン栽培に必要な暖房機がなかった。
練炭での暖房。
戦前のラン栽培は、財閥、貴族、皇族のものであったが・・・・。
戦後、農業協同組合が生まれると、
戦火に逃れたランで洋蘭農業協同組合を結成したのは、大変な先見の明があったということになる。
趣味の人達が、戦後の復興を目標に、ラン産業の未来を予測したのである。
現在のランビジネスは、この焼け野原の中に芽生えた。
ラン界にもそういう人達がいたのである。
現在は・・・・????
ランは、経済大国の下で発展、隆盛する。
19世紀は大英帝国。
20世紀はアメリカ、・・・・日本。
園芸は、国力がないと発展できない。
明日食べることを心配しなければならない貧しさで、花を愛でることは出来ない。
今、日本の人が一輪の花を見るために、花を追って他国の山までゆくが・・・
戦後の日本の経済発展は、工業製品の大量生産、大量消費であるる。
「消費は美徳」。
こんな言葉が日本人の精神構造に侵入し、この甘美な言葉は大衆を支配するまでになった。
使い捨て!
大量の苗を増殖できる播種技術、メリクロン技術の開発が、大衆化を後押ししたのであるが、
そこで・・・・問われるのは大量生産、大量消費にのったラン界が問われるのは・・・・
そういうことで、ラン栽培が大衆に普及した。
高根の花が、庶民の花になったのである。
しかし、ランの原種というのは園芸品種のように人間が生産し供給するものではない!
自生地の自然が生産している!
大量生産、大量消費という経済活動の産物ではない。
消費される原種は・・・即・・・絶種への一里塚への道である。
おびただしい数の原種株が・・・今日も輸入されているが・・・
果たして日本はランの楽園なのかということである。
喜んで咲いているか・・・ということである。
菌根植物であるラン。
この栽培法は200年進化がなかった!
菌根植物のランにコンポストの進化がなかった!
ランは難しい・・・
この言葉の裏には、ほとんど消費される株・・・枯れる・・・ランという意味を含んでいる。
愛好とは消費すること???
消費大国日本・・・この風潮の中にラン業界も成立している。
原種輸入ビジネスも成立している。
多くの人は、こんなこと考えもしないでつくり、楽しんでいるのであるが・・・・。
枯れることを前提にしたラン栽培の行く末に蘭界はどうなるのか。
SUGOI-neを開発した理念は、この一点である。
ランにとって日本は地獄なのではないか。
そういう疑念である。
ランに明日があるか・・・ということである。
明日に・・・隆盛があるかということである。
需要と供給の根底に、ラン栽培の根本ともいえるコンポストに、全然進歩がない。
そういう現状で、これから先、ラン界が発展、隆盛できるのか。
これまでのような栽培では、
ランから見たとき、果たして、日本の蘭園は楽園なのか。
アルカディアなのか。疑問が残る。
ラン菌による炭素循環ラン栽培法は、
以上のような自問自答の中で生まれた革命的なラン栽培法である。
人間、愛好家本位のラン栽培法ではなく、
21世紀のラン栽培は、ラン本位の栽培法でなければならない。
ランの楽園のラン栽培でなければ、真の発展、隆盛はないからである。
恐らく、この炭素循環ラン栽培法は、
園芸、農業の革命的な栽培法になるだろう。
日本の栽培場に、宇井清太が発見した材木腐朽菌、ラン菌が隅々まで繁殖生息したとき、
文字通り・・・日本はランにとって楽園になるだろう。
この目標のために、この栽培法を広く無料で公開するもである。
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kouza 1ab